私は現在、一歳半の娘と、小学一年生の息子を育てています。その2人の子供を日々見ていて、幼い子供には「いまここ」しかないんだなぁ、と思いました。
大人になると私たちは、未来の心配や、過去の後悔などに頭を悩ませ、今この瞬間にいない事がほとんど。今を疎かにしていると、地に足の着いた人生とはかけ離れてしまいます。
だからスピリチュアル界隈では「いまここに集中して!」とよく言われています。
1歳児のいまここ
娘はまだ話せないし、まだまだできないことばかり。毎日よちよち歩いて、いたずらをしたり、泣いたり、おっぱいを飲んだり、昼寝をして過ごしています。
当たり前ですが、1歳児は未来のことは考えていません。「今ご飯を食べといたら、後でたくさん遊べるな。」なんてことは考えません。
例えば目の前にご飯が出されたら、「お!そういえばお腹が空いてたから食べよう」と思うのか、もしくは「今は食べたくないから、いらない」のどちらかです。少し先のことを考えて、「本当は今は食べたくないけど、食べておいた方が良さそうだから食べよう。」なんて発想はできません。
また、気になるものを見つけたらすぐに触ったり、いたずらをし始めます。一応、「これ触ったら怒られるかな?」という知恵はあるらしく、私の顔色を伺う時もありますが、まだ時間的なことはわかっていません。
遊びたいときに、遊びたいだけ遊び、気になるものを見つけては、どんどん進んでいじっていきます。
そして遊びに夢中だと気がつかないのか、突然眠たいことに気がつくように泣き出し、抱っこされたり、おっぱいを飲んでパタッと寝てしまいます。
まるで娘は私に、いまここに集中して生きる見本を見せてくれているようです。
いまここから先読みする学習
今を瞬間瞬間で生きていた子供も、大きくなるにつれて、先のことを考えて生活することを学ばねばなりません。
小学一年生の息子は、まさしく先の予定を考えて行動することを学んでいる真っ最中。時計が読めるようになり、時間や日付を理解できるようになってきました。
明日の時間割に合わせて、夜のうちに持ち物を用意することや、見たいテレビの時間を考えて、宿題を済ませるタイミングを決めるなど、子供ながらに日々奮闘しています。
いまここだけで生きてきた幼少期から、未来を考えて行動できるように学んでいます。
子供から大人に、そして大人から子供に
私たち大人も、子供のころにら先のことを考えて生活できるように勉強してきたはずです。そして勉強してきたおかげで、今は計画を立てながら生きることが出来るようになりました。
それなのに私たちは、未来のことばかり考えていると、「地に足が着いていない!いまここに集中しろ!」言われているのです。
立派な大人になるために、大人になって困らないために、あれこれ勉強してきたのに、大人になったら子供のように自由に生きようとしているのは、皮肉のようです。
大人は子供の見本にならないといけない、と言うけれど、子供も大人の見本。
子供から大人に育って、そしてまた大人から子供に戻ろうとする。
人生は面白い図式です。
先のことは考えて当たり前
「いまここに集中して!」と言われたから、先のことを全く考えないようにする方がいます。
ですがそれは、この地球上で生きている限り不自然なことです。私たちは大人だからこそ、先のことを考えて行動することができるのです。
未来の自分のために、今努力をしたり、計画を練ることは必要です。それは幼少期の子供にはできないことです。
いまここに集中する、というのは、いつでもどこでも集中する必要はありません。先のことを全く考えなかったら、今日の夕飯の準備もできないし、お風呂を沸かす用意もできません!そこは大人のままでいいんです。
子供から学ぶこと
「子供のようにいまここに生きたい!自由に生きたい!」と思っても、大人が全く子供に戻る必要はないんです。
私の場合は子供を見ていて、周りの評価を気にせずに好きなことに没頭するところや、嫌なことは嫌だ!とはっきり泣いて拒否するところなど、学ぶことはたくさんあります。でも「学ぶ」というよりは「思い出す」と言う方が正しいですよね。私たちも数十年前はそうだったのですから。
大人の知恵と経験を持ち、大人のまま子供心を思い出す。そのバランスを保つのも、大人だからできることですよね。