東日本大震災死者有名人&被災された7名真否を解説
2011年3月11日に起こった大地震、東日本大震災。
自身の大きさもさることながら、その後にやってきた大きすぎる津波により死者・行方不明者は2万人以上になるという物凄く大きな災害でした。
多くの方がなくなったことで、有名人や芸能人の中にも東日本大震災によって亡くなったと、噂が流れた方が多くいたようです。
その噂は間違ったものもあり、いろんなデマがネット上で出回りました。
いまだに行方不明となっている方が多くいる中、有名人・芸能人の噂についての真否はわかっているので、それについてしっかりと解説していきます。
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- 東日本大震災死者有名人を知りたい
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Contents
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東日本大震災死者有名人
東日本大震災で亡くなったと言われた有名人をご紹介します。
有名人1,佐野正文(元ラグビー選手)
津波の被害でお亡くなりになられた佐野正文さん。
1948年生まれで、秋田工業高校時代に兄弟でラグビー選手として活躍。
卒業後は兄弟で新日鉄釜石に入社し、新日鉄釜石ラグビー部では副キャプテンを務めました。
「北の鉄人」と呼ばれ、V7時代のレジェンドと言われ、引退後は釜石ラグビー協会会長に就任しましたが、惜しくも帰らぬ人となりました。
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有名人2,佐藤恵利子(サッカー選手)
1979年生まれで、女子サッカー選手として1998年から2007年までルネサンス熊本フットボールクラブに所属されていた佐藤恵利子さんも、東日本大震災で帰らぬ人となりました。
ルネサンス熊本フットボールクラブではキャプテンも務め、中心選手として大活躍されていました。
2007年にはルネサンス熊本フットボールクラブを退団し、故郷である宮城でフットサルのチームに参加していましたが、わずか31歳でお亡くなりになりました。
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有名人3,下川原孝(陸上選手)
下川原孝さんは100歳を超えてから砲丸投げ、やり投げ、円盤投げで世界記録を出した陸上選手です。
100歳超えとは思えない元気な姿で、テレビ番組にもよく出演されていました。
東日本大震災の時は、自宅のある釜石市で被災され、避難所に避難しましたが、そこで津波に襲われてしまいました。
享年104歳だったそうです。
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東日本大震災死者有名人のデマだった噂
ここでは東日本大震災で亡くなったのでは?と噂が流れた有名人をご紹介します。
故郷が震災地だったりしたので、間違った噂が広まってしまったようです。
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デマだった東日本大震災死者有名人:猫ひろし
お笑い芸人、マラソン選手として活動されている猫ひろしさん。
東日本大震災の2週間後に、同姓同名の「根子裕誌」さん(宮城県警南三陸署の巡査部長)が亡くなったと警視庁が公表し、勘違いした方が「猫ひろしが震災で亡くなった!」とtwitterで呟いてしまったために間違った情報が流れてしまいました。
実際は猫ひろしさんは今もお元気です。
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東日本大震災で被災された有名人
東日本大震災ではご自身の住む家屋や、ご親類などが被災された有名人は多くいます。
被災した有名人1,生島ヒロシ(アナウンサー)
アナウンサーの生島ヒロシさんは宮城県気仙沼市出身だそうです。
東日本大震災では、実家がある気仙沼市で食堂を営んでいた妹さんが津波に飲まれお亡くなりになりました。
そして、先週の3月11日には「東日本大震災これまでとこれから」と題し 気仙沼からお送りしました。そこでのお写真です!!!#tbsradio #生島ヒロシ pic.twitter.com/DZ3BNE1N7A
— 生島ヒロシ (@i_hiroshi1224) March 13, 2022
被災した有名人2,マギー審司(マジシャン)
宮城県気仙沼市出身でマジシャンとして活躍中のマギー審司さん。
東日本大震災では祖母と叔母を亡くされています。
震災以降、マギー審司さんはチャリティボウリング大会や演芸ライブを開催し続けています。
チャリティイベントを10年以上経った今も続けているので、まだやるの?と言われることもあるそうですが、震災ちはいまだに復興が完了していませんし、まだ行方不明のままおん方も多くいらっしゃいます。
マギー審司さんもそのような経緯を考えて活動を継続しているのかもしれません。
被災した有名人3,仙名彩世(元宝塚歌劇団花組)
元宝塚歌劇団で花組トップ娘役として活躍され、その後女優として活躍中の仙名彩世さんも、東日本大震災で被災された有名人のお一人です。
ご自身やご家族は無事だったものの、しばらく連絡が取れなかったため不安な日々が続いたそうです。
東日本大震災が起きた日は、東京でも電話が繋がらなくなりましたよね。
被災地では電話も電気も使えない状態が続いていたはずですので、連絡が取れずに不安を抱えたまま何日も過ごした方が多くいらっしゃいました。
被災した有名人4,俵万智(歌人)
歌人として人気の俵万智さん。
2006年より仙台市に両親・長男と住んでいましたが、東日本大震災後の福島第一原子力発電所事故による放射線被害から逃れるため石垣島に避難し、そのまま定住することにしたそうです。
この経験などを含めた、『あれから―俵万智3・11短歌集』を2012年3月に出版しました。
東日本大震災は地震と津波だけでなく、原発事故も起こり日本中を不安に陥れましたよね。
東京に住んでいた私でさえも、移住を考えるほどでした。
俵万智さんは避難したことでバッシングも受けたそうです。その様子を読んだのがこちらの歌です。
子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え
まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉
いろんな考え方がありますが、子供のために安全な土地へ逃げる母の気持ちは十分わかります。
この歌はtwitterで広まり、「自分だけ逃げるのか」などと批判的なコメントも多かったようです。
それらの反応に対し、俵万智さんも心が揺れたようですが、今は人体に影響がないとしても10年後20年後はどうなるかわからない...とし、移住を決意されたようです。
東日本大震災で支援活動をした有名人 江頭2:50
東日本大震災の直後、一番に支援活動を始めた有名人として記憶されているのは、芸人の江頭2:50さんではないでしょうか。
江頭さんは、まだ東京から被災地までの道路が通れるかもわからないうちに、ペーパータオル、水、生理用品、オムツなどを自ら購入して2tトラックに詰め込み、福島県まで向かいました。
当時、支援物資を購入するために20万円を貸金業者から借りてたそうです。なかなかできることではありませんよね。
えがチャンネルでは以下のように、当時を振り返っていました。
あれはNHKで「福島が今、老人ホームがやばい」って。
救援物資が、トラックが福島に届かない。手前で帰ってしまうっていうので、そんな…ふざけんじゃねえ!そんなのトラック野郎じゃねえ!って思って。
「俺しかいない!」って思って行ったんだよ。その時は救援物資もトラックも、ガソリンも全部ない時。俺のツテを全部たどって、「トラックもタダで貸してやる。そんなことだったら」(といわれた)。
あと、コストコも電話したら「うちの偉い人に代わりますから!」って。
「じゃあ、持てる分だけ持って行ってください!」。ただお金は必要ですけど「(必要な物を)全部渡しますから」って!コストコいいところなんだよ!
引用:エガちゃんねる EGA-CHANNEL
テレビでは破天荒なキャラで、どちらかというと嫌われ者のイメージが強い彼ですが、この大震災後のエピソードで彼を見る目が変わった方も多いはずです。
私も「あの人がそんなことするんだ!すごい!」と思いました。
東日本大震災とは
東日本大震災とは、2011年3月11日14時46分に発生したマグニチュード9.0の大きな地震でした。
震源地は三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近。
日本で観測史上最大規模の地震であり、世界でも4番目に大きな地震でした。
もう12年以上経っていますが、いまだに行方不明者も多く、3万人以上の方々が避難生活を続けています。
地震後は最大遡上高40.1 mにもなる巨大な津波が発生し、地震そのものの被害よりも津波によって多くの命が失われました。
さらに津波により原子力発電所がメルトダウンし、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等レベルの事故が起こりました。
その結果、福島県では人が住めなくなるなどと言われ、放射能の危険性を危惧して西日本への移住をした方も多くなりました。
忘れられない震災
私は東日本大震災の時、妊娠6ヶ月で、ビルの6Fにある会社に勤めていました。
地震が起きた瞬間はオフィスで仕事をしており、すぐに社内の人たちと机の下に隠れましたが、ビルの6Fだったこともあり、かなり横に揺れて、しかもなかなか止まらなくて、本棚の本はバサバサと全て落ちて、ただならぬ恐怖を感じました。
妊娠中だったこともあり、夫がお腹の子供に飲ませる水に放射能が含まれるのではないかと物凄い不安を抱えてしまったり、夫の実家である地方に引っ越した方がいいのでは、などと毎日のように話し合っていました。
私は引っ越すなら引っ越すでもいいけど、震災後不安の塊のようになった夫が何日もニュースを見ては絶望的な発言をし、うつ病のようになっていることがとても辛かったです。
家にいるとずっと「この先放射能がどうなるか...」といった話をいつまでも夫がするので、それが私のストレスになりました。
そのことを夫に話し、あまり悲観的になりすぎないようになってくれましたが、子供が生まれてからは少し落ち着きましたが、あの頃は東京に住んでいても本当に大変な時期でしたよね。
被災地の方がのことを思うと、のうのうと生きている自分にも罪悪感を感じるような雰囲気がありました。
東日本大震災死者有名人&被災された7名真否を解説まとめ
この記事では東日本大震災で死者となった有名人と、被災された有名人、さらに被災地で活躍された江頭2:50さんについてなどを書いてきました。
当時は情報が錯乱し、ネット上も嘘も真実も入り混じって流れましたよね。
そのせいで猫ヒロシさんが亡くなってしまったと誤情報が広まってしまったり、いろんなトラブルも起こりました。
何年経っても日本人の胸に刻まれ、いまだに癒えることのなり大きすぎた震災です。
まだまだ元通りになっていない被災地の方々が、早く過ごしやすい環境になることを祈ります。